歴史
設立
1956年11月に大阪府豊中市服部にて設立
集配の原点
お客様一人ひとりのご都合に合わせた「受取」「配達」の集配システムをいち早く採用し、地域の皆様に喜んで頂いておりました。
米国視察の日々
北摂地域、北大阪地域唯一の信頼を誇り、米国各地のクリーニング業界をつぶさに視察し、米国および独国のトップレベルの機械を導入。また、特別作業室を設け、高級和服の丸洗いを「なぎさ会」のメンバーとして行っております。
株式会社へ
創業の地にて、1963年12月。株式会社へ
Today
3代目、雄輔(兄)と直人(弟)が引継ぎお客様の美と清潔に奉仕
衣類の町医者として
大事なものをずっと使って欲しい。そんな気持ちを胸に皆様のかかりつけ医として末永くお付き合いしていきます。
田村 雄輔
Yusuke Tamura
Q.子供時代を一言で表すと?
A.マイペース、辛抱強い、ジジババっ子
Q.座右の銘は?
A.臥薪嘗胆
親世代、祖父母世代に便利と安心をお届けしたい。
Q.クリーニング業にかける思いを教えてください。
A.機械の音と商品タグをつけるホッチキスの音を毎日聞いて育ちました。
毎朝幼稚園登園時に職人がハンカチにアイロンをあてて渡してくれた姿に憧れを抱き自然と家業を継承する気持ちが芽生えました。
日頃からのコミュニケーションを大切にして街のお医者様のようなんでも気軽に相談できる存在にクリーニング業を通じてなりたいと思っています。特に親世代、祖父母世代に便利と安心をお届けし、暮らしのお手伝いをしたいと思います。
田村 直人
Naoto Tamura
Q.子供時代を一言で表すと?
A.好奇心旺盛 アイデアマン
Q.座右の銘は?
A.不言実行
皆さんのお役に立つ事が使命です。
Q.クリーニング業にかける思いを教えてください。
A.工場内でかくれんぼをしたりラジコンを走らせたりと自由に育ちました。
次男坊なので「外で働け」と小さい頃から口すっぱく言われてきましたが小学生の頃に父が喘息を患い、長く休職を余儀なくされた時「自分も役に立ちたい」と初めて仕事を手伝い、クリーニング業に興味を持つようになりました。
この業種はアパレル産業のように華やかな業種ではありませんが、お気に入りの衣類をメンテナンスすることで何度でも着る人を輝かせることができることに魅力を感じています。
忙しく活躍される皆さんのお役に立つことが私の使命と思っています。
田村ドライクリーニングの技術
ドライクリーニングのこだわり
お品物に応じて適正な洗濯コースを選別。
予備洗浄の有無から使用機材と溶剤の種類を組み合わせて最善のコースを選択します。
クリーニング溶剤の管理と自然乾燥にこだわってます。
多少時間が掛かっても洗い上がりの鮮やかさと柔らかな風合いを大事にしています。
~ 熟練した染み抜き技術 ~
蒸気式染み抜き器や超音波式染み抜き機を導入しています。
シルクの様なデリケート素材のしみまで対応しています。
仕上げのこだわり
~ ヒートレス蒸気アイロン使用 ~
当社のアイロンは全てヒートレス(電熱不使用)です。生地を傷めることはありません。
~ パフアイロン仕上げ機 ~
主に婦人服やスカートの仕上げに使用しています。蒸気と空気で立体的に仕上げますので生地に対するダメージが少なく柔らかな風合いにしあがります。
~ 人体型立体仕上げ機 ~
理想的なシルエットを実現します。嫌なテカリが付きません。
会社概要
弊社は高品質と利便性を特徴に集配 (デリバリーサービス)を展開いたしております。
「手を抜かない誠実な仕事、当たり前の事を当たり前に行う」をポリシーに、永年にわたって培ってきた技術と業界トップレベルの機械の導入によって上質なサービスを提供させて戴いております。
名称 | 株式会社田村要ドライクリーニング |
本社所在地 | 〒561-0853 豊中市服部南町3丁目1番1号 |
代表者 | 田村 好雄 |
沿革 | 1956年11月(設立) |
1963年12月(株式会社に変更) | |
資本金 | 10,000,000円 |
取引銀行 | 池田泉州銀行服部支店 |
その他 | 豊中商工会議所会員 |
【個人情報保護に対する方針】
1.個人情報の適正な取り扱いに関する法令を尊守いたします。
2.個人情報の収集は予め利用目的を告知しお客様の同意の上で収集いたします。
3.個人情報への不正アクセス、紛失、流失等の事故を招かないよう対策を講じます。
4.個人情報に関して内部規定を整備し、情報の取り扱いについて適時社員教育研修をおこないます。
5.「個人情報管理者」を設置し、個人情報の訂正、削除等 適切な管理をおこないます。